MinnE’s blog

ひがしあさひかわ日記

2025年1月8日(火)旅に出る

2日間のお正月休みがあっという間に終わり、そろそろ旅に出ることにした。
家でぼんやりと過ごしながら、YouTubeで2024年7月にウラジオストックからサハリンに行った旅の映像を見た。
そうか、ウラジオストックからサハリンというルートがあった。

2017年6月、チェーホフ劇場が開催している演劇フェスティバル「ランパ」での公演のためユジノサハリンスクに行き、今度は旅行で訪れたいと思っているうちに、新型コロナウィルスの流行、そしてロシアのウクライナ侵攻。現在は新千歳空港ユジノサハリンスク間の飛行機も運航していない。
このユジノサハリンスクでの数日は私にとってとても大切な時間だった。
抗がん剤治療を受けていて、ツアーメンバーには行けないと言いつつ、主治医に恐る恐る尋ねると、「水にだけは気を付けて。ピロリ菌がいる可能性が高いから」とサハリン行きを勧めてくれた。彼はサハリンからはるばる札幌まで治療に来る患者も診ていた。
落ちている体力とかつらという不便さもあり、少しの不安を抱えての出発だったけれど、滞在中は新しいスニーカーで目的地を定めずによく歩き、白樺やライラックなどの木と花を楽しみ、旧ソ連の匂いがする建物とそこに住むであろう人たちを想像し、ボルシチ、ペリメーニ、黒パン、ビーフストロガノフ、ブリヌイ、魚のムニエルなどをもりもり食べ、そして必ず訪ねたかったサハリン韓人文化センターも訪問できた。少しだけ辛い時期に勇気を持てる、そんな数日だった。

稚内宗谷岬とサハリン南端の距離は43キロ、時速60kmで車を走らせれば43分で着く。なのに、今はとても遠い。

旅の同伴者は宮沢賢治
宮沢賢治は、1923年7月31日に花巻を出発し、青森、盛岡、函館、札幌、旭川稚内を経て、8月3日に樺太・大泊に到着。樺太では豊原(現コルサコフ)、栄浜(現スタロドゥブスコエ)に、そして花巻の自宅に帰ったのは8月12日。
この旅の間に書いた詩「青森挽歌」「青森挽歌三」「津軽海峡」「旭川」「宗谷挽歌」「駒ヶ岳」「オホーツク挽歌」「樺太鉄道」「鈴谷平原」「噴火湾ノクターン)」が、「春と修羅」「春と修羅」補遺に収められている。
3か月かけて、詩をゆっくりと読みながら、宮沢賢治のサハリン紀行に関する本や資料を読む旅。

旅の水先案内人は、
春と修羅」(宮沢賢治
春と修羅」補遺(宮沢賢治
銀河鉄道の夜」(宮沢賢治
「サガレン 樺太/サハリン 境界を旅する」(梯久美子/2020年/角川書店
宮沢賢治×旭川 心象スケッチ「旭川。」を読む」(松田嗣敏/2023年/未知谷)
宮沢賢治旭川。」より」(あべ弘士/2015年/BL出版
宮沢賢治とサハリン 「銀河鉄道」の彼方へ」(藤原浩/2009年/東洋書店
宮沢賢治サハリン紀行ノート(第一部)」(加藤多一)
地球の歩き方 極東ロシア・シベリア・サハリン」

小さな部屋にいても、旅はできる。
そして、ここから世界をみよう。

2025年1月6日(月)旭川神社

年末の母の入院や年明けから仕事が続き、やっと初詣。

旭川神社。
1892年(明治25年)に屯田兵400戸が入植し、1983年(明治26年)に天照大神とともに、木花開耶姫命を祭神として本殿を造営し、村名をとり旭川神社とした。

初詣の人たちはまばらだったけれど、着物を着た子どもを連れた家族や数人の若い人たちが楽しそうに歩いていて、ホットドックやおでんの屋台もあり、少しだけお正月気分を味わえた。

旭川神社は家から徒歩で8分ほど。散歩がてらよくいく場所。
春にはやま鳩のとぼけた声が響き、その声のおかけで氷屋「三か坊主」を偶然見つけて、去年の夏は美味しいかき氷をずいぶん食べた。
夏は木陰も多く、涼しくて、境内にある椅子に座り、ぼっと夏の空を眺めることも多かった。

おみくじは「吉四番」_今まで悩んでいたことがウソのように解消していきます。
去年はたくさんのことがあり、環境もかわり、いつも落ち着かず、緊張し、途方に暮れてばかりだったけれど、今年は少し私らしく過ごせそうです。

2025年1月5日(日)映画を見る

2025年リストに「毎月映画を2本みる」と書いた。

1本目は、「PERFECT DAY」(2023年、監督・脚本/ヴィム・ヴェンダース、出演/役所広司、江本時生、田中泯ほか)。
とても美しい映画だった。
主人公の平山も、人びとも美しけれど、木漏れ日がとても美しい。

若い頃、当時暮らしていたソウルから北海道の家に帰るたびに、朝目を覚まし、仕事に出かけ、仕事から戻るとご飯を食べてテレビを見て、眠る、そしてまた…この繰り返しの暮らしをする家族の姿に、私にはこんな暮らしはできないと思っていた。
今は私も同じ。目を覚まし、朝食を食べて仕事に出かけ、仕事から戻ると夕食を作り、食べて、後かたずけをし、ほんの2時間くらいの自由時間。猫と遊んだり、本を読んだり、ネットフリックスでドラマを見たり、そして寝る。
日々のルーティーンのなかで生きている。
でも、今になってわかったのは日々のルーティンのなかにもさざ波のようにいろいろなことがあり、時には大波もあるということ。そして、それがなぜだか切なく愛おしい。

音楽もとてもよかった。
20代の頃、よく聞いていたヴェルベット・アンダーグラウンド
特に好きだった「Pale Blue Eys」。
”時々とても嬉しくなるし、時々とても悲しくなる”、この最初のフレーズが好きでよく口ずさんでいたのを思い出した。

平山が読んでいる本も気になる。
「野生の棕櫚」(ウィリアム・フォークナー
「木」(幸田文
「11の物語」(パトリシア・ハイスミス)。

音楽をすべて聴き、本をすべて読み、もう一度「PERFECT DAY」をみようと思う。

2025年1月3日(金)空を見上げる

去年4月にここで暮らしはじめてから、よく空を見上げる。
高い建物がないから、空が本当に広い。

2024年6月、大きな空の向こうに大雪山

日々、そして1日のなかでも刻々と流れて形を変えてゆく雲。
日の出から日没までの色の変化。
毎日眺めても、ずっと眺めていられそうなほど飽きない。

そして何よりも、空を見上げていると初めて聞いたボブ・マーリーの曲「Three Little Bards」が聞こえてきて、すべてうまくいくと心が軽くなる。
今日の冬の空もやっぱり”Everything`s Gonna Be Alright”と歌っていた。

2025年1月1日(水)自分の足音に耳を澄ます

2025年1月1日、夜明け前。
いつもよりもっと静かな通りを、雪を踏むギシッギシッという自分の足音に耳を澄ましながら歩く。
穏やかで、静かで、心自由な一時。

向かいから走ってくる車のライトで一瞬にして昨夜の現実に引き戻される。
晦日、母が救急車で搬送された。
診断は初期の脳梗塞
倒れる少し前に母が作ったお正月恒例の里芋の煮物を弟と食べながら、急に静かになった家でなんとも落ち着かない。
三匹の猫たちも心なしかおとなしい。
90歳という高齢の母とそろそろ一緒に暮らそうと約30年ぶりに戻り、いつかはと覚悟はしていたけれど、あまりに突然で、やっぱり途方に暮れる。
今年は介護の日々が始まりそうだ。

それでも、自分の足音に耳を澄ましながら、穏やかに、静かに、心自由に過ごしたいと思う元日です。